AkashAダイスケのMY"鋼鉄"LIFE

バンドの事や楽器機材・料理・プライベートや好きな事を赤裸々に綴るブログ

台風15号の爪痕の生々しい記憶と現状

AkashA(アカーシャ)ダイスケです🤘

 

 

この度台風15号による甚大なる被害に遭われました

被災地の皆様に謹んでお見舞い申し上げます。

また被災地の皆様の安全と、一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。

 

そんな僕の住んでいる地元も、

大変な被災を受けまして、

今も完全復旧していない区域がまだまだ多くあります。

 

今日までの人生の中で、これほどの自然災害を直に受けたことは無く、

正直この先どうすればいいのか、

不安との戦いを強いられました。

そして、まだ復旧していない被災された皆様は

今も尚同じ気持ちではないでしょうか。

心痛お察し申し上げます。

 

メディアでようやくこの惨状が全国に届けられたのが、

72時間を経過した11日になってから。

 

どんな状況だったのかをこのブログを読んでくださる皆に

お伝えしたいという思いと共に、

この先もこのような体験をした事を忘れない為に、

書き綴りたいと思う。

 

9日の午前2時過ぎから、豪風が吹き荒れ始め、

その音で完全に目が覚めた。

寝ようにも音が凄まじく寝ることが出来ない。

そして、4時00分前後、更に勢いを増した風と共に

強烈な雨が降り始めた。

4時30分前後、自宅の電気は完全に停電。

周辺の区域も完全に電気が停止し、

外からは今まで聞いたこともないような、

何かが吹き飛ぶ音が聞こえ、

何かが砕けるような音が聞こえた。

 

窓を見ると見たこともない暴風が吹き荒れていた。

雨が真横から建物に当たってくる様は、

これまでの人生でも経験したことの無い異様な光景だった。

真上から降ってくることが当たり前の雨が真横になって

"当たる"というのが正しい言葉だと思う。

 

閉め切っているはずの窓と枠の隙間から水がジャバジャバと入ってくる。

風向きに対して、正面からそれを受けきっていた自宅の和室は、

そのおかげで障子も畳も全て水浸し。

真っ暗の中でどうにか水の侵入を防ごうとするが、

雑巾や布切れを総動員させても、全くの無駄。

それを上回る量の水がどんどん入ってくる始末。

停電状態で、湿度気温が上がっていく中での必死の作業も虚しく、

朝5時を回る。

この時既に感じたのは、

「明け方になったら、とんでもないことになっているんじゃないか」

 

予想通り、千葉県全域は報道のとおりの状態。

いや、それ以上に当初は酷かった。

地元に関しても、建物の倒壊・倒木、それに伴った高圧線の断線によって

信号は無灯状態。そして道路も寸断されており、

大好きな怪獣映画の如く、まるで巨大生物が蹂躙したかのような景色が

目の前に広がっていた。

 

幸いにも、自宅の水道は断水していなかった為、

しばらくは持つだろう。と思っていた。

 

どうにかこうにかで会社に着いてみると、

停電は想定していたが、水が出ない。

会社は井戸水の為、通電していないと水が使用出来ない。

トイレや、手洗いなどの生活用水が使用出来ないのは大きな痛手の為、

会社にあるタンクや大きなケースをかき集め、

大渋滞する道を走り、自宅に戻って水を調達。

しかしながら、3.11とは違い、

茹だるような暑さ。

台風一過が更にそれを助長している為、飲み水がまずは優先。

会社のスタッフと手分けをして、地元の現状を把握しながら

とりあえず飲料水や食料を調達する為に車を走らせてみたが、

どこもかしこもこのような状態。

 

とりあえず、社内の備蓄品で1日目はどうにか凌ぐしかないが、

如何せん停電している為冷蔵庫内の食料なども、

いずれ腐敗してしまう。

ものが無い、手に入らないかもしれない。

冷蔵庫内の食料は貴重ではあるが、いずれ使い物にならなくなる。

そんな焦りと不安、更に暑さによるストレス。

携帯も何も使えない。情報を仕入れることが出来ない。

そんな中で、会社の関連施設などの台風の被害状況の確認や、

浸水箇所の水掻きなどを行い、自宅に帰った。

 

真っ暗闇の中で食べる食事というのは、

3.11の時と今回で2度目になるのだが、

目で見ることが出来ないと、食事も全く美味しくない。

更にローソクを数個使用している為、汗も止まらない。

食べているのか食べていないのかわからない。

ただ、今はとにかくお腹に食事を詰め込まないと

そんな思いだけで食卓に並べられた限りある食事を食べた。

 

日中の作業による汚れや汗をとりあえず流したいと、

お湯が出ないシャワーを浴びた。

茹だるような暑さから解放されると少し嬉しかったのだが、

水は浴びているときは良いのだが、その後冷えた身体は

温めようと発熱をする為、発汗が止まらなくなる。

 

真っ暗の中、何もすることが出来ない為、

寝るしかない。

携帯の充電もモバイルバッテリーを持っていたが、

間も無く底を尽きかけようとしていた為、

電源を落とす。

画面の明かりがなくなっただけで、

何も見えない暗闇となる。

周辺の建物全てに明かりが灯されていない状況は異様で、

救急車や消防車のサイレンが鳴り止まない。

停電による信号機が無灯の為、

日中から事故が多発。

夜中もサイレンは止むことはなく、

いよいよ、混沌としてきたと実感。

 

明日の為にもまずは寝なければならない。と思うのだが、

熱帯夜による息苦しさと、

そして真っ暗闇という恐怖、

水シャワーによる体温上昇のおかげで、

全く眠ることが出来ない。

そんな時に重宝したのがこれ。

水入りペットボトルで光を拡散。

これのおかげで風呂場やトイレなどは、

真っ暗な状態を免れた。

電池式のLEDライトを持っていたおかげで

簡易ではあるが、光を確保出来た。

ただ、電池も限りがある為、必要最低限使用する時だけと

自分の中で決めて使用していた。

 

睡眠をしたいのに、それが出来ない状況というのは、

全く心が安らぐわけもなく、疲れも取れない。

結果として、夜中も含めて3度水シャワーを浴びた。

そして、3度目は耐えきれず車へ移動してエアコンの中で涼んだ。

夜中家の外に出ると、やはり皆同じ考えなのか、

車のエンジンの音がそこかしらから聞こえてくる。

朝から今まで経験したことのない状況であったからか、

頭が回らなくなっていたんだと思う。

車で涼んで少し落ち着いた時に気づいた。

携帯が車内で充電できるじゃないかと。

 

携帯が充電できる場所を見つけて少し安堵感が出た。

しかし、ガソリンが給油出来ない。

それを考慮すると、いつまでも車内にいることは出来ない。

なので深夜になって部屋に戻ってみたが、

やはり寝付けない。

恐らく、正味2時間程度の睡眠は取れたのかな。

そんな状況で朝を迎え、会社に向かう。

 

すると、被災を免れた地域に住んでいるスタッフ達が

カップ麺や飲料水を購入して出社してくれた。

停電していない区域に住んでいる休日のスタッフが、

わざわざ作ってくれたおにぎりを持ってきてくれた。

倒壊・倒木・信号機の無灯状態の道路を走って。

もうこれには、感謝しかない。

 

しかしながら、2日目も状況は全く変わらず。

ただでさえ、スタッフも10名以上が出社して、

施設の復旧に努めている。

彼らのお昼ご飯を一度に出すと、

いただいた物資もすぐになくなってしまう。

もう一度周りを車で見に行ってみる。

明かりが付いているコンビニを見つけたが、

中はこの状況。

配送車が止まっているコンビニを見つけても全く同じ。

配送車の運転手さんに聞いてみると、

たどり着くまでに尋常じゃない時間を要している為、

この暑さのおかげで、庫内で商品がダメになってしまうんだそう。

結局今日ここに降ろせた荷物はこれだけなんです。

と見せられたのが「ザーサイ2個」だけだった。

 

明日以降の食べ物をどうしよう。

米はある。しかし炊くことが出来ない。

自宅で炊いたものを会社に持っていくしかない。

しかし、冷蔵庫内の食材は傷んでいく。

水は取れても、この暑さ。

塩分を入れないと熱中症や体調不良などの二次災害を招きかねない。

 

普段、何気なく食べているもの、拘って食べているもの

食事全てが愛おしく感じてきたのがこの時。

 

その日の業務を終えて、帰宅をすると

自宅の電気が復旧。

ただし、自宅の食材も底を尽きかけてきている。

なんとか食材の確保をしなければと。

悩みのタネは尽きない。

 

電気が復旧したからか、

通電火災が発生したこともあり、

更には熱中症となる人も出てきて

夜中も救急車と消防車のサイレンが鳴り止まない。

 

 

携帯が急に繋がった。

ただし、電話のみでネットが使えるようになったのは、

22時を過ぎてからだった。

2日目は朝一から携帯が一切使えなかった為、

繋がった途端にとんでもない量のメッセージが。

ひとまずメンバーに連絡。

 

ただし、二人とも口を揃えて言うのが、

そんな深刻な被害になっているの??と言うこと。

こちらとのギャップがこんなにあるのかと正直驚いた。

 

テレビやネットで千葉県の被害について全く報道されておらず、

ほとんど知らない状態だったそうだ。

実際、FNNの取材が入ってきたのもこの日の夕方だった。

被害が深刻な房総半島方面に関しては、

倒壊・倒木、更には東関道が停電の影響で初日は使用できず、

2日目は規制ながらも走行が可能となっていたが、

そのような影響が重なっている為、被災地に取材ロケ車が行けないんだと行っていた。

この頃から、台風の深刻な被害が徐々にではあるが、

全国に知れ渡るようになっていったように思える。

 

とりあえず現状どうなっているのかを説明し、

状況が状況だけに、14日のライブに関しては、

出れないかもしれないと言う旨を伝えた。

二人とも音楽活動をする為には、まず生活や自身の安心が最優先だから

気にしなくて良いと言ってくれた。

 

俺としてはとても不本意だった。

 

なぜなら3ヶ月ぶりのライブで、この日を楽しみにしてくれてる人が

居るからだ。

 

ただ、ライブはこの後だって出来る。

無理して自分の身に何かあって、

金輪際バンド活動が出来なくなってしまうほうがまずい。

と言うことで、断念せざるおえない形となったことを

皆さんにお詫びしたいと思います。

多分なご迷惑をお掛けします事、お詫び申し上げます。

 

3日目。

早朝より地元に自衛隊の災害派遣車両がやってきた。

 

地元に災害派遣車両が走っている、もしくは走るなんて

想像もしていなかった。

実際、地元区域でもまだまだ断水・停電が続いている地域があり、

役所は水を求める人と、携帯を充電する人でごった返した。

給油が可能となったガソリンスタンドには長蛇の列。

これによって渋滞が更に渋滞を招く。

タンクローリー車が止まっているガソリンスタンドにも、

この後すぐに給油が出来る。と考えた人達で渋滞が出来ている。

 

会社に至ってはいまだに停電。

流石に猛暑が続いており、体力以上に精神的苦痛が上回ってきた。

暑い、更に食料が足らない。水が出ないと言うことが如何に大変なことなのか。

33年間体に染み付いている動作である

 

蛇口を捻る。

壁のスイッチを付ける。

しかし、水が出ない。

電気が付かない。

 

自宅が倒壊されてしまい、僕以上に被害が深刻な方もいらっしゃるので、

そんな事でと思われるかもしれないが、

 

これだけでストレスなのだ。

普段の生活が如何に幸せなことなのか。

 

自宅に帰れば電気が復旧しているので、

エアコンが効いた部屋に居ることが出来るが、

 

まだ復旧していない地区から来ているスタッフもいる。

それでも会社に来ている。俺が弱音を吐くわけにはいかない。

気丈に振る舞わなければならない。

生活用水が足らなければこれを持っていって使ってと

分ける。困っている人がいれば手を差し伸べる。

 

人として当たり前の事をやる。

 

しかし、流石に猛暑が続いており、

体力も限界に。

 

そんな中、メンバー・そしてバンド仲間や仕事関係の全国の友人達から

足りないものがあるなら言ってくれ。

物資を届けに行くよ。との連絡が。

 

正直涙が出た。

 

励ましのメッセージをくれる人もたくさん居て下さり、

もう少しで切れかかりそうだった気力も、

みんなのお陰で少し取り戻せた。

 

本当にありがとう。

 

 

4日目

昨夜未明に会社の電気が復旧。

これまでに溜まっていた業務に追われ、今に至る。

 

物資が足りなくなっているという僕のSNSの投稿を見て、

僕の大好きなバーのマスターが物資を用意して下さった。

感謝しかない。

 

そして、千葉の親友が連絡をくれたのでこちらで購入できないものを

ピックアップして伝えた。

用意してくれた物資を取りに行く為、

千葉へ。

 

街中は6割近く復旧しているが、山間部になると、

更に状況はひどく、未だに東電さんはじめ、全国各地から集まった電気復旧車両が

電線工事、あるいは電柱工事を行なっている。

吹き飛ばされた家屋、ビニールハウスが

至るところで目に入る。

 

そのエリアに入ると携帯が一切繋がらない。

携帯のBLUETOOTH経由で車内で音楽を流していても、

そのエリアに入ると一切音楽が聞けなくなると言う事を初めて知った。

 

信号機もまだ無灯の場所もあり、

千葉の若葉区に至っては、未だ停電。

台風の爪痕の大きさは、

テレビで見るそれよりも遥かに想像を越えている状況。

 

どうにか無事に千葉にたどり着いた。

自分が良く遊びに行く場所。

 

 

台風が本当にあったのか?と思うくらいに

普通。

正直このギャップに驚いた。

地元のセブンイレブンでは一切の食料が無い。

しかし、ここのセブンイレブンは普通に物が溢れている。

とりあえずここで買える物があればと購入し、

マスターのところへ。

 

 

「何かしたくても、何も出来ないので、せめてこれくらいしか」

と段ボールいっぱいの食料と、飲み物を頂いた。

 

同じことの繰り返しになるが、

感謝しかない。感謝してもしきれない。

 

マスター、本当にありがとうございます。

 

マスターのお店を後にし、

家族ぐるみの付き合いで、高校時代からの親友の元へ。

車に積みきれないほどの物資を用意して下さっていた。

散財をかけるほどの物資の量に、

正直頂いて良いものかと思ったが、

「困っているときはお互い様。私たちが困ってたらダイスケ、助けてよね」

と親友のママに言われた。

 

何度頭を下げても、感謝しきれない程の

優しさに涙が込み上げた。

頑張ってねの言葉が心に沁みた。

 

感謝と共に、罪悪感を感じた。

容易に物資をお願いしなければ良かったなと。

そんなの気にする必要ない。と親友に怒られた。

 

人の優しさに感謝。

 

本当に本当にありがたい。このご恩は一生忘れないし、

もし彼らが同じ立場にあるのなら、絶対に助ける。

 

お陰で、スタッフにも頂いた物資を分けることが出来、

しばらくは物資が地元区域に入ってこなくても

やり過ごせるだけのものを頂いたので、やっていける。

 

しかしながら、未だ業務に関しては

通常にとは行かず、今日もスタッフ一丸となって対応。

 

復旧に合わせて復興をしていかなければならないが、

 

水が出てない地域の人がいれば、

こちらの水を分けてあげる。

 

広域にわたってボランティア支援をしている人には

敬服する。

 

僕も何かしなければ。

 

それがほんの少しの事でも、

誰かが助かるのならやるべき。

 

目の前の人が助けを求めているのなら、

ほんの少しでも手を差し伸べればいい。

 

大きい支援をやった人が偉いんじゃない。

些細な事でも行動に移せるのなら、

それで良いと思う。

 

自分がやれることをやる。

千葉市長も仰っていた通り、

買い控えなどはしないでほしい。

これまで通りの生活を続けることで、

経済が回る。

 

今回の経済被害総額は100億を超えている。

経済を活性する為には、お金を使わなければならないから。

それも復興支援の一つ。

 

普通に生活できていることがどんなに幸せなことなのか。

 

完全復興するまで時間がかかるが、

人が人を想って、行動を起こせば

きっとまた元に戻ると。

 

千葉県だけでなく、神奈川・伊豆島など

大きな災害を受けた場所が多い。

 

震災は忘れた頃にやってくると言うが、

まさにそうなんだと思う。

 

特に千葉に至ってはこれまでに、

自然災害の大きな被害を受けたことはない為、

本来ならば早急に災害派遣を要請しても良いのだが、

全てが後手に。一昨日の知事の発表を見たであろう人達は

一様に口を揃えてこう言う。

「あまりにも遅すぎる」と。

この被災の現状が全国に知れ渡るのにも時間を要した要因だと思う。

まだ完全復旧する為には、時間を要するだろう。

 

 

忘れてはいけない災害の恐怖、

そして人の優しさと温かさ。

 

この数日間ではあるが、

 

自分にとって良い意味でも悪い意味でも忘れられない時間となった。

 

自分の記憶が確かなうちに、

電気が復旧した2日目の夜から今日まで

時間がある時に、この記事を書き溜めていた。

リアルタイムでの出来事をなんの遜色も無く、

記録しようと思ったからだ。

 

こうしてブログが書けるということも、

情報を発信できるというのも

情報を仕入れることが出来るというのも

全てが今は幸せなことだと思う。

 

どうか、被災地全ての人達に

 

心休まる日々が訪れますように。