AkashAダイスケのMY"鋼鉄"LIFE

バンドの事や楽器機材・料理・プライベートや好きな事を赤裸々に綴るブログ

最高の世界

どうも!DIE.sukeです!

 

今日のブログは長くなるよ!っつーわけで!

 

 

6/6 IMPACT~第参次音楽大戦~無事終了しました!

 

 

IMPACTファミリーのAccidentally Encounter、おいも、DJshino

 

ゲストのJOHNQUEST、Zyear

古巣の本八幡Route Fourteenのスタッフの皆さん

あの日あの場所に集ってくれた全ての人達

 

本当に本当にありがとう!

 

 

お陰様でとても素晴らしいイベントになったよ!本当にありがとう!次回~第肆次音楽大戦~もよろしく!

 

 

そんな大盛況のイベントで

 

ピリオドを迎えたものがあった。

 

 

“毘沙門天”

 

 

 

 

4/11正式に解散という形をとった。

 

 

こんな事を言ってはいけないと重々承知してるけど、あえて言う。

 

あの時

 

 

「魂」は無かった。

 

 

偽りだったあの日から月日は経ち、6/6という日が迫ってきた。

 

 

それまでにあがきまくってメンバーを探せば良かったけど、

 

アクティブに動ける程の余裕はあの時の俺には無かった。

7年もやってきて、当たり前のように存在していた「もの」を失って、精神的にも滅入ってたしね。

 

正直焦った。新しいバンドを組もうにもメンバーが見つからない。

 

見つかったとしても、楽曲をステージで演奏出来るレベルに持っていく自信が無かった。

 

おいものゆうやさんに相談して、どうせなら最後毘沙門天としてやってみたら?と言われた。

 

出来る限りのサポートはするし、またうちのいくまを貸してあげる!と言って下さった。

 

でも以前、いくまさんをサポートに迎えておいもにはたくさん迷惑をかけたし、

 

普段もゆうやさんにいっぱい助けてもらってるし

IMPACTを引っ張っていく重圧を一心に受けているゆうやさんにもう迷惑はかけたくなかった。

 

そんな時ダメもとで連絡をしたのがAccidentally Encounterのひろゆきさんだった。
「My 鋼鉄 Life」-最強ツインギター!

 

アクエンが今、とても大事な時期であって、忙しいというのも知ってたけど

一緒にやるならひろゆきさんしか居ないって思った。

断られるのを承知で連絡をしたら、すぐにOKを出してくれた。まじで嬉しかった。

 

そして問題はDrum。

 

だけど、俺の中では心に決めていた人が居た。

 

そう。

 

 

ex風林火山のよしさん。
「My 鋼鉄 Life」-よしさん&おれ

 

 

6/6のIMPACTで当初のゲストに風林火山の名前が挙がっていた。

 

しかし、風林火山は解散してしまった。凄く残念だった。

風林火山へのリスペクトという事で、フライヤーの背景色は赤を使った。

(俺の中で風林火山のシンボルカラーが赤だったからw)

 

風林火山が解散してしまって、また同じステージに立てなくなってしまった。

 

それならば、同じバンドでステージに立って一緒にやりたいって思ったから

よしさんに声をかけてみようと初めから決めていた。

 

でも、ほとんど喋ったことがなかったし、

 

勝手にすげー怖い人だって思い込んでたから(笑)ひろゆきさんに仲介に入ってもらって、サポートやってもらえませんかと頼んだ。

俺との電話を切ってすぐひろゆきさんはよしさんに連絡をしてくれた。

 

すると驚くべきスピードでひろゆきさんから連絡が来た。

 

俺は、あー断られたんだろーな…ドラムどーしよう…って落ち込んで電話に出た。

 

ひろゆきさんがこう言った。

 

 

「今よしさんに電話したら、いいよ。ってさ!すげー早かったよ返事!びっくりしたわ。」

 

 

さすがのひろゆきさんもびっくりしたようだ。当然俺もすげーびびった。

 

 

まさかの奇跡!ミラクル発動!

 

 

早速お互いの連絡先をまたもやひろゆきさんを通じて交換して、そっこーよしさんに電話した。

 

 

すげー緊張した。

 

 

だけど、よしさんに言われた一言で何もかも救われた。

 

 

「どうせやるからには全部食ってやろうっていう気持ちだから。俺がドラムを叩くときは俺が一番だって思って叩いてるし。その日毘沙門天と一緒にやるバンドが可哀想だねぇ。」

 

 

確かこんな感じだったと思う(汗)

 

 

電話を切って勝手に涙が溢れた。二人の男気に完全にやられた。

 

本当に嬉しかった。

 

そして4人の目標は“過去最強”の毘沙門天としてステージに立つこと。

 

 

その目標を抱き、5/1奇跡的とも言える4人が集った毘沙門天として、初スタジオを迎えることになる。
「My 鋼鉄 Life」-極悪

 

 

初めはお互いギクシャクした感じがあったが、回数を重ねる毎に質も格段に向上していった。

 

 

スタジオでは、真摯に音楽に向き合って、且つくだらないことで笑いまくった。

 

音で触れる時間も会話で触れる時間も増えていった。

 

俺の中で忘れていた「何か」がふつふつと湧いて来ている事に気付き始めていた。

 

 

そして6/6を迎えた。

 

 

SEが鳴り始め、ステージに上がった瞬間目の当たりにした客席の光景は絶対忘れないだろう。

 

そして怒涛の30分が始まる。

その30分の出来事はほぼ全てと言えるくらいに鮮明に覚えている。

 

何より一番凄かったことが、むちゃくちゃ楽しかった事。

 

ここ数年のライブの中でここまで楽しかったライブは無かった。まじで半端じゃなくて楽しかった。

 

それに30分という演奏時間があっという間に感じたのも久しぶりだった。

 

 

最後の曲「Reason to live」が終わり、毘沙門天としてステージから去らなければいけなくなった時

 

自然と名残惜しさがこみ上げた。終わって欲しくないという気持ちと、

皆に対してありがとうという気持ちが

複雑に混ざりあった何とも不思議な気持ち。

 

そして終わりを迎えた時、俺の中にはもう怒りも憎しみも残っていなかった。

 

 

30分の演奏中、終始笑顔で居た自分に気付いた。無論、終わってからも笑顔だった。

 

 

忘れていた「何か」

 

 

それは音楽に本気で向き合う姿勢と、音楽が楽しいという事。

 

そしてメンバーをリスペクトする気持ち。

 

バンドにとって大事な事をひろゆきさんとよしさんが改めて教えてくれた。

 

 

この4人で毘沙門天だった時間は24時間にも満たない。多分12時間半くらいだ。

 

だけど、この12時間半は俺にとっては凄く濃くて、幸せだった時間だったんだ。

 

オリジナルメンバーである髭と俺。サポートメンバーであるひろゆきさんとよしさん。

 

 

だけど、12時間半の間はこの4人で“毘沙門天”だった。“家族”だったのだ。

 

 

終わった後に残った清々しさとは裏腹に、本当に悲しかった。

 

 

今回、この4人で毘沙門天としてステージに上がった事は、皮肉にも毘沙門天解散があったから。

 

そうじゃなければこの最高の瞬間は味わえなかったんだと思う。

 

今思えば、こうなる事はもしかしたら運命だったのかもしれない。

 

 

人生って面白い。どう転ぶかわからねーから面白い。

 

 

ここまで書くのに随分長くなったけど、

 

 

一つ言える事は

 

 

あの日あの場所に“最高の世界”が広がっていた。

 

 

そして“最強”は“最高”だった。

 

 

ひろゆきさん、よしさん本当にありがとうございました!最高でした!

 

そして髭!7年間ありがと!そして、これからも宜しく!俺達に限界はねーぜ。

 

俺にとってあの12時間半の出来事は、一生忘れないかけがえのないものになった。

 

 

毘沙門天は無くなってしまったけど、

 

毘沙門天が持っていたモノをきちんと受け継いで

新たに生まれる「家」でもっと大きく育てていくよ!

 

あの“最高の世界”を夢見て。

 

 

Thank you for 7years!

 

 

Thank you for Memory!

 

 

Thank you for Happiness!

 

 

and

 

 

Bye-Bye!!!!!

 

 

毘沙門天 are…
「My 鋼鉄 Life」-最強の四天王

 

 

Gt&Vo DIE.suke!

 

Ba&Cho 髭!

Gt&Cho Hiroyuki!

Dr Yoshi!

 

Let's ROCK!!!!!Hell Yeah!!!!!